出来ない理由と、出来る理由

困難にぶつかった時、それに対して「出来ない理由」ばかり挙げる人がいる。

その理由を列挙することに何の意味があるというのだろうか。


外国人と日本人の考え方を比較して述べた書籍(本のタイトルは忘れた)に書いてあったんだけれど、日本人の多くは困難を乗り越えるための方法を提示するよりも先に、それが如何に実現不可能なことであるかを主張する傾向にあるという。

それに対して、外国人の方は「実現するためにはどうすればよいか」をまず考える。


困難を抱えているとき、そしてどうしようもなくなってしまった時、それぞれの状況下においてはたして「出来ない理由」を述べている余裕があるのだろうか。

どうしようもない時こそ、それを成し遂げるための方法を真剣に考えるべきだし、出来ない理由を挙げる余裕など無いはず。

もしそんな癖があるのなら、それとは真逆の考え方をする必要があると思う。

今は出来なくてもこれから変えていけばいいのだから。